旅行経験が多めの私ですが、実はパニック障害を患い、まったく旅行できない時期がありました。
当時は大好きな旅ができないどころかきちんと生活できない自分が惨めで絶望感でいっぱいでした。でも、そんなところから日常生活に支障がないレベルまで戻すことができ、海外へも再び行くことができるようになりました。発症から時間が経っても怖さは消えませんが、パニックらしきものは2年以上起きていません。
かつての私と同じように苦しむ人が少しでも未来に光を感じてもらえるよう、長くなりますが当時の日記と記憶している範囲で共有します。
※人によって合う治療法が違うので私の方法は参考になりませんが、諦めなければ明るい先があるということが伝わればいいなと思います。
目がまわる…疲労?
あとから思い返すと初めてちょっと異変を感じたのは、夜行の高速バス。
就寝のためライトが消されて少し経った頃、突然目がぐるぐるまわっている感覚に襲われました。ドキドキして呼吸もなぜかはやくなります。手には汗。水を飲んでもおさまりません。目を瞑るとぐるんぐるん。目をあけても視界がぼんやり。座席のリクライニングを最大にし、お茶をのんで、休憩所に早くついてーと願いました。
このときは数分で落ち着いたので、残業続きによる寝不足と疲労と空腹のせいかなと思って気にしませんでした。
新幹線に閉じ込められ
次に異変を感じたのは、新幹線。駅のない逃げ場のないところで停止して、少しの間停電してしまったことがありました。遅い時間で外は暗くてなにもみえません。閉じ込められたと思ったら、またしても夜行バスと同じ症状が。バクバク!
灯りがついて新幹線が動きだすと私も徐々に落ち着きましたが、少し怖い経験でした。
その後も・・・
いろんな場面や外出先で数分地獄が続きます。ライトなしでトンネルを走る暗闇電車や、窓のない狭い空間などは思い浮かべただけでも気持ち悪くなりました。
でも健康優良児の私は大変な病気であるとはまだ思いもしなかったんですね。もしかして閉所恐怖か暗所恐怖になっちゃった?高所恐怖症の人みたいなもんかな?と軽く考えていました。
地獄の国際線フライト
ダメ、死にそう。そう初めて思ったのは、彼と一緒の海外旅行。行きのフライトでした。楽しいはずの旅行が私のせいでガッカリ旅になりました。
前々から予定していた8日間の夏休暇。飛行機に乗る前から体調はイマイチ。この頃はたびたび襲われる発作と仕事のストレスMAXで吐き気も常にありました。が、飛行機はずっと寝ていけばいいし、行けば楽しいはずと決行。
最悪なことに、何時間経っても離陸してくれません。そう、よくあるトラブルなんですが。案内がないまま、飛行機の中で不安が続きます。真夏に閉じ込められていると、蒸してくるんですね。
はぁはぁ。呼吸が…苦しい。胃が気持ち悪い…。手のひらが熱い…。いつもの地獄より辛い。私の症状も悪化していきます。
トイレに立ったついでに、CAさんのところへ。吐き気止めはなかったけど、すっきりする7upをくれました。飲むと確かにすっきりしました。でも7up効果はそう続きません。またもや謎の発作に襲われます。数分でおさまってくれません。彼に気付かれないように、耐えるのもそろそろ限界…。もう無理…。
「ごめん。降りたい。体調が良くなくて」
思いきって伝えました。過去に搭乗ゲートを過ぎたところでキャンセルなんてことはしたことがありません。離陸してないとはいえ、まわりに迷惑をかけると分かっていたけれど・・・これから10時間の空の旅は無理だと感じました。途中で引き返してもらうことになったら、もっと迷惑をかけてしまうし…。
でも、私のそんな息絶え絶えの話を聞いた彼は、降りることを許さず、なんと行こうというのです。隣についてるから、自分によりかかって膝枕もするから半分横になればいいと。頑張ろうと。
少し考えてやっぱり降りたいと言いかけたその時、飛行機が離陸に向けて動き出しました。あー……。
行くとなれば、おとなしく彼に甘えます。体を預け、うちわで扇いでもらいます。手を握ってもらいます。あちこちさすってもらいます。端からみれば、いちゃついてるように見えたことでしょう。必死だったんです、ごめんなさい。
我慢できないような苦しさが続きましたが、なんとか現地に到着。地獄のフライトでした。
予定をいろいろ変更して、移動はすべてタクシーで。ゆっくり過ごす旅に。ローカル気分を味わいたかったのに、観光客向けのところで過ごすことになってしまったし、私はずっと体調が悪かったので、気もお金もつかわせて申し訳ない気持ちでいっぱいでした。情けない。
受診
帰国後も意味不明すぎる発作や不安に襲われました。そんな年じゃないのに更年期障害?まさか、うつ?妄想が自分をより追い詰めていき、吐き気だけじゃなくてリアルに嘔吐するようになっていて、血が出ることもありました。
私、どこかおかしい。
やっと病院へ。診断結果は想定外の「パニック障害」でした。胃炎も併発。私は大丈夫、私は元気と思って頑張りすぎていたんですね。知らず知らずに。
お先まっくらの日々
病名がついたことで意味不明な恐怖感からは解放されたのですが、体調は一向によくならず。嘔吐が嫌で食欲がわきません。消化のいいものを少しだけとるという食生活。これまでインドへ行っても胃薬なんて飲んだことなかったのに、この頃は処方薬漬けでした。
それから、睡眠不足。部屋を真っ暗にすると目がまわっている気がしたし、息苦しくなって眠れないんです。ライトを一番明るくして、窓とカーテンをあけたまま寝るので朝まで熟睡できませんでした。
病気のことは恋人と親友にしか告白していなくて職場では隠していました(隠し通せたと思います)が、満員電車や地下鉄はとくに大変でした。ひどい時期は一駅ごとにホームにおりて休みながら進んだ記憶があります。営業同行で客先へ向かうときは理由をつけて現地で待ち合わせるようにしたり。高層ビルはパニックが出そうでいつも辛かったです。エレベーターはもちろん、オフィスも窓があかない閉鎖的な場所ですから。
「私、もう一生旅行を楽しむことができないの?」
乗り物は怖いし、食事する場所も限られるし、ホテルも怖い。海外旅行どころか沖縄でさえも一生行ける気がしない。大好きなことができないなんてお先真っ暗。
数年間ほぼ会社と家の往復だけで毎日泣いていました。
薬をやめた
パニック障害というのは珍しい病気ではありません。何年も前でもネットにはたくさんの情報や体験談がありましたが、暗闇にいた私はネガティブな情報にふれたくなくてあえて避けていました。
でも、テレビかなにかでパニック障害から復活した人を知って、それから、まいにちまいにち情報を読み漁りました。もっともっと深刻な状態から完治した人も多くいるなら、なんとか勇気をふりしぼって外に出ることができる私なら治るかもしれない。
当時は独身。自分で家計を支えなくてはなりません。積み上げてきた仕事も手放したくない。旅行だって行きたい。いつかは海外で暮らしたい。
治せるもんなら治したい。
生活を変えはじめました。
パニックになりやすい場所、不安の強い場所はなんとなくわかっていたので、できる限り避けます。外食はできるだけオープンエアな場所、遊びに行くのは自然の多い開放的な場所。映画館、カラオケ、美容院、歯医者は最悪だから行かない。お風呂は怖いのでシャワーのみ。料理や読書もだんだんしなくなったけどそれでいい。
パニックになりにくい生活を意識的に送ることで、長く悩まされた胃腸の方はだいぶ良くなってきました。
そして、薬に頼る生活をやめました。
たしかに薬に救われる場面は幾度もありましたが、薬を飲んでよかったーと思うことはなく、薬がないと生きていけない自分がどんどん嫌いになっていたから。
ひとりで家にいるときは、龍角散を舐めながら、ほぼテレビかスマホでゲーム(アングリーバードとかキャンディクラッシュとか)という自堕落生活。悲しいことを考えずに気を紛らわすことができたので、発作がでそうなときや辛いときは、仕事中でさえもトイレに行っておまじないのようにゲームをたちあげます。そのおまじないが薬がわりになってくれました。
目標は帰省
少し落ち着いてきた頃、離れて暮らす親兄弟を心配させないように久しぶりに帰省することにしました。海外旅行の飛行機で発作が出てからしばらく新幹線には一度も乗っていないので、数か月先の帰省に向けて、毎週末電車にのる訓練をすることにしました。ひとりでは心配なので、付き添ってもらいながら。
通勤や往訪では長い時間のることがないので、すぐに下車できるJR山手線にのって一周する練習からスタート。徐々にハードルをあげていきます。特急に乗ったり、モノレールに乗ったり、トンネルのある路線に乗ったり。最初は発作が出ましたが、繰り返しチャレンジして慣れさせていきました。
帰省の日。新幹線はそれほど長い時間ではなくても不安が大きいので、ここでも付き添ってもらいました。できるだけ圧迫感を感じないよう、贅沢にグリーン車。目をつぶるとグラグラしたので寝ていくのをあきらめて、ひたすら薬がわりのスマホゲームでやり過ごし、途中下車することなく無事に到着することができました。一度乗れたものは次も大丈夫。ひとつひとつ自信に繋がっていきます。
荒治療の日々
帰省できたという成功体験は、過去できなかったことに再挑戦する気持ちにさせてくれました。逃げてしまうことがあっても、彼や友達にフォローしてもらいながら、ゲーム攻略するようにひとつずつクリアして、大丈夫大丈夫と自分に暗示をかけていきました。
ちなみに、パニック障害を発症した原因と思われる、震災のショックと仕事のストレス。震災は時が癒し、仕事は環境が変わり、自然に取り除かれていました。
ふたたび海外
突然やってきました。海外出張のお達し。病気のことは何も知らない部下2名と一緒です。考えただけで心臓バクバクして、発作の手前状態になってしまいました。
あぁ、、飛行機は、、、長距離。自信がない。でも、そんなことは言ってられないよね。一発勝負は絶対だめだ、練習しなくては。
幸い、出張まで1か月近く猶予があったので、練習でまず上海行のフライトをとりました。上海まで3時間。数年前の地獄フライトを思い出して、数日前から離陸まで精神的にかなりきつかったです。でも、その後はなぜか目をつぶって寝ることができました。気持ち悪くならないように軽食はパス。起きたらだいぶ落ち着いていて、外をながめる余裕もありました。
香港、シンガポール、そして本番。心配しすぎて少し体調が悪くなりましたが、発作までは至らず、周りに気づかれずに笑顔で過ごせました。
旅は続く
あのまま諦めてひきこもっていたら、旅行は夢で終わったでしょう。ダイビングや洞窟レストランなんて恐ろしい。スパにも行けなかったでしょう。
荒治療はとても勇気がいりましたが、帰省や出張という試練に泣きながらでも立ち向かってよかったです。何年経っても上空で落ち着くまでバクバクが消えませんが、15時間くらいの飛行や小型機もクリアしているので今後もきっと大丈夫。もうゲームで遊ぶこともありません。
これからも焦らずゆっくり旅を続けます。
ロケットという本当に逃げ場のない空間、宇宙旅行はダメかもね。